施設紹介
本堂
昭和62に木造からRC造で再建したものです。平成24年に外部及び屋上の吹き付け、屋根の漆喰施工、平成25年に堂内柱、敷居などのクリーニング、障子、襖の張替えを行い現在に至っています。本堂は、内陣上部に本尊が釈迦如来佛、向かって右に高祖承陽大師(道元禅師)、左に太祖常済大師(瑩山禅師、弘法大師などを安置、それぞれの古い位牌の安置、外陣の両脇に檀信徒の位牌が安置されています。
その他 堂内には、ぴんずるさん(撫で仏)を安置、おみくじも設置されています。
春、秋彼岸会、盂蘭盆施餓鬼会法要、檀信徒の年忌法要、その他各種法要など檀信徒らが集う場であります。
鎮守地蔵
伝え聞くところによると当寺21世住職の妻の親戚筋西区東枇杷島の福原家が昭和5年に亡き子を弔うため、当寺山門東側に地蔵堂の建屋とともにお地蔵様を建立寄進したもので、当寺は鎮守地蔵として現在に至っております。
浄霊殿
昭和59年に木造で建築したものです。平成19年に吹き付け施工を致しております。浄霊殿は、本尊が南無大悲霊観世音菩薩、水子地蔵尊を安置し、水子供養の永代供養された位牌、永代経の位牌が安置されています。
その他に 厄除け大師(病気平癒、健康祈願itc)、在家より譲り受けた弘法大師像が安置されています。
春、秋彼岸会、盂蘭盆施餓鬼会の水子施餓鬼供養、個人の水子供養、他に年忌供養、その他供養など檀信徒、一般の方々が集う場所です。
納骨堂
昭和60年に閻魔大王尊を本尊とする納骨仏壇、永代供養壇を要した納骨堂を建立したものです。家庭事情などにより自宅に仏壇を置くことが出来ない方、納骨先を求める方々を対象にご利用頂いております。
無縁地蔵
昭和54年に納骨堂裏に当たる地に建立したお地蔵さんです。お地蔵さんの周りには昭和54年に本堂西墓地を整理した
折に檀信徒ご尊家のそれぞれの墓石を統合したことにより、不要になった墓石が置いてあります。お墓がない檀信徒や一般の水子供養の方々がお参りされる場となっております。
ぴんころ地蔵
家庭とは、爺 婆 父 母 息子夫妻 孫の大家族が住み 大きな食卓を囲んで談笑の中で食事をし その日にあった事を語り合い 穏やかな雰囲気の中 いたわりあい 助け合うのが昔からの日本の定番でした。これは小家族でも規模が小さいだけで同じような雰囲気でした。ところが今はこの定番がもろくも崩れ核家族からハジキ出された老人たちが寂しく心細く老後を肩寄せあってひっそりと死を待って暮らしている今日です。はては、介護施設に入れられて寂しく死んでいくのが今この国の老人事情です。
お釈迦様はこの世の中を娑婆(シャバ)と申されました。つまり耐え忍ぶところという意味であります。生きる為の苦 老いの苦しみ 病の苦しみ そして最後に死の苦しみこれが四苦という一番の苦 次に愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ) 怨憎会苦(憎い者と会わなければならない苦しみ)五蘊盛苦(欲望が旺盛で困る者) 求不得苦(求める者が得られない苦) 一般にこれを総称して四苦八苦と言われています。
私たちは、この世の中を四苦八苦しながら生きているのです。
人間は誰でも一度は死んでゆかねばなりません。けれどもせめて命ある間は周囲の人たちに迷惑をかけないで 健康で 命果てるときは コロリと大往生したいものです。しかし、人間には誰でも知らず知らずの間に作った業(ゴウ)を果たさなければなりません。この業を果たすには善行を積み行わなければなりません。年老いてからはもうその余裕はありません。しかし、 仏様は広大な慈悲をもって懺悔という方便を教えてくださいました。
我借所造諸悪業、皆由無始貧瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔と真心込めて口に唱えて心に念ずることによって過去に作った罪障を許して頂けるのです。毎日何回でもこれを唱えて懺悔しましょう。
このことから無仏世界といったお地蔵様にお守り頂くために当寺では平成17年6月お地蔵様を建立し、生きている間はピンピンと そしてシャバ世界の縁が尽きてあの世へコロリといけるようにと「ぴんころ地蔵」と命名いたしました。※聞くところによりますと全国で二番目に完成したものです。出来るだけ多くの方にお地蔵様の功徳を受けて頂けるようご祈願の方のお名前を刻みご加護を受け安楽往生をお祈りするものです。祈願者の住所、名前をお地蔵様の台座に彫りつけます。望みがかなえられるよう名入れ祈願をされることをお奨めします。
「名入れ祈願は、当寺の春、秋彼岸供養、盆施餓鬼に行いますので、希望される方は申込用紙にを住所、氏名、数え年齢を記入の上、祈願料(振込み)を添えて寺に申し込み下さい」
お参りの仕方は、ピンコロ地蔵尊の向かって左端の表示ををご覧ください。
※長野県佐久市ののざわ商店街振興組合が過疎対策の一環として平成15年9月成田山薬師寺の参道に健康と長寿の可愛いぴんころ地蔵を建立したものが全国一番目と言われています。地元の観光のシンボルとなっています、佐久市の健康づくり政策の礎となっております。
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お釈迦様はこの世の中を娑婆(シャバ)と申されました。つまり耐え忍ぶところという意味であります。生きる為の苦 老いの苦しみ 病の苦しみ そして最後に死の苦しみこれが四苦という一番の苦 次に愛別離苦(愛する者と別れる苦しみ) 怨憎会苦(憎い者と会わなければならない苦しみ)五蘊盛苦(欲望が旺盛で困る者) 求不得苦(求める者が得られない苦) 一般にこれを総称して四苦八苦と言われています。
私たちは、この世の中を四苦八苦しながら生きているのです。
人間は誰でも一度は死んでゆかねばなりません。けれどもせめて命ある間は周囲の人たちに迷惑をかけないで 健康で 命果てるときは コロリと大往生したいものです。しかし、人間には誰でも知らず知らずの間に作った業(ゴウ)を果たさなければなりません。この業を果たすには善行を積み行わなければなりません。年老いてからはもうその余裕はありません。しかし、 仏様は広大な慈悲をもって懺悔という方便を教えてくださいました。
我借所造諸悪業、皆由無始貧瞋痴、従身口意之所生、一切我今皆懺悔と真心込めて口に唱えて心に念ずることによって過去に作った罪障を許して頂けるのです。毎日何回でもこれを唱えて懺悔しましょう。
このことから無仏世界といったお地蔵様にお守り頂くために当寺では平成十七年六月お地蔵様を建立し、生きている間はピンピンと そしてシャバ世界の縁が尽きてあの世へコロリといけるようにと「ぴんころ地蔵」と命名いたしました。※聞くところによりますと全国で二番目に完成したものです。出来るだけ多くの方にお地蔵様の功徳を受けて頂けるようご祈願の方のお名前を刻みご加護を受け安楽往生をお祈りするものです。祈願者の住所、名前をお地蔵様の台座に彫りつけます。望みがかなえられるよう名入れ祈願をされることをお奨めします。
「名入れ祈願は、当寺の春、秋彼岸供養、盆施餓鬼に行いますので、希望される方は申込用紙にを住所、氏名、数え年齢を記入の上、祈願料(振込み)を添えて寺に申し込み下さい」
お参りの仕方は、ピンコロ地蔵尊の向かって左端の表示ををご覧ください。※長野県佐久市ののざわ商店街振興組合が過疎対策の一環として平成15年9月成田山薬師寺の参道に健康と長寿の可愛いぴんころ地蔵を建立したものが全国一番目と言われています。地元の観光のシンボルとなっています、佐久市の健康づくり政策の礎となっております。
六地蔵
生前の行為の善悪のいかんによって,人は死後に,地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道の境涯を輪廻,転生するといわれるが,そのそれぞれに,衆生救済のために配される6体の地蔵菩薩(ぼさつ)。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光の各地蔵菩薩とするお地蔵さんであります。昭和60年に納骨堂隣に人々の六道の苦しみを救済し、かつ生きている方々の様々な苦しみを救うために建立したものです。
誕生釈迦牟尼仏像
お釈迦様は、今から2600年前の4月8日インドの北ルンビニ地方サタヤ族の村で母親マーヤ様からお生まれになりました。まず梵天と帝釈天の二人の竜王がお釈迦様を受け止め、お釈迦様に甘露水を注ぎ体を清めました。そのとき、蓮の花が忽然と咲き、その上にお釈迦様が立たれると、7歩歩いて立ち止まり四方八方見られてから右手を天に向け左手を大地に向け「天上天下唯我独尊」とおっしゃいました。これが有名なお釈迦様の誕生伝説です。日本でも誕生日には、花御堂にお釈迦様(以下「釈尊」と言います。)の像を置き甘茶をかける花祭りの風習がございます。釈尊は、何不自由のいない暮らしの中、29歳で意を決して出家されました。6年間の修行を経て菩提樹の下で人々に悟りを開かれました。この教えが、後の仏教の礎となりました。釈尊の布教の目的は、「人々を苦から救済することでした。」苦は、煩悩から起こります。煩悩の根源が、貪欲、怒り、愚痴の三毒です。煩悩は、身心を乱し、悩ませ、智慧を妨げる心の働きです。第一に何事も両極端ではいけない。ホドホドがよい中道の教え。第二に世の中全て事が起きるのは原因と結果があり互いに関係しあっている縁起の教え。第三に人生には老いる、病にかかる、死ぬことも全て苦しみです。この根本原因は生まれるということから始まるのです。これが四苦です。更に愛する人と別れ、怨み憎む者達とどうしても関わらざるを得なかったり、あるいは求めるものを得ることができないといった多くの苦しみに直面せざるを得ません。これが愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦です。合わせて第四に迷いの生存は苦である、欲望が尽きないことが苦を起こしている、その原因を滅することが出来れば苦はなくなる。それをなくする道
それが八正道であると説かれました。身口意、即ち身体では、正しい行為・日常生活・努力、口では、正しい見方・考え方・気づき或いは認識の四つで、これが四諦八正道の教えであります。
世の中が安心、安全を求めすぎるあまり、せちがらくなっているように見受けられます。皆様が、日常生活の中で悩み、苦しみを抱えておられますればお釈迦様にお参りし、何かを語りかけ、ひとときでも心が安らげばの思いで、平成28年3月彼岸に、本堂北墓地内にこの地に誕生釈迦牟尼佛像(兼 永代納骨施設)を建立した次第です。
釈尊は、最後はクシナガラの地で下痢を起こされ弟子たちの必死の看護も及ばず弟子たちに見守れながら2月15日に八十歳で入滅(死亡)されました。入滅されました日が今でも涅槃絵の掛け軸を掛け、寺によって涅槃会法要が開かれております。なお、入滅される前後の行いが葬式の作法の基本となっております。
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日本でも誕生日には、花御堂にお釈迦様(以下「釈尊」と言います。)の像を置き甘茶をかける花祭りの風習がございます。釈尊は、何不自由のいない暮らしの中、29歳で意を決して出家されました。6年間の修行を経て菩提樹の下で人々に悟りを開かれました。この教えが、後の仏教の礎となりました。釈尊の布教の目的は、「人々を苦から救済することでした。」苦は、煩悩から起こります。煩悩の根源が、貪欲、怒り、愚痴の三毒です。煩悩は、身心を乱し、悩ませ、智慧を妨げる心の働きです。第一に何事も両極端ではいけない。ホドホドがよい中道の教え。第二に世の中全て事が起きるのは原因と結果があり互いに関係しあっている縁起の教え。第三に人生には老いる、病にかかる、死ぬことも全て苦しみです。この根本原因は生まれるということから始まるのです。これが四苦です。更に愛する人と別れ、怨み憎む者達とどうしても関わらざるを得なかったり、あるいは求めるものを得ることができないといった多くの苦しみに直面せざるを得ません。これが愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦です。合わせて第四に迷いの生存は苦である、欲望が尽きないことが苦を起こしている、その原因を滅することが出来れば苦はなくなる。それをなくする道 それが八正道であると説かれました。身口意、即ち身体では、正しい行為・日常生活・努力、口では、正しい見方・考え方・気づき或いは認識の四つで、これが四諦八正道の教えであります。
世の中が安心、安全を求めすぎるあまり、せちがらくなっているように見受けられます。皆様が、日常生活の中で悩み、苦しみを抱えておられますればお釈迦様にお参りし、何かを語りかけ、ひとときでも心が安らげばの思いで、平成28年3月彼岸に、本堂北墓地内にこの地に誕生釈迦牟尼佛像(兼 永代納骨施設)を建立した次第です。
釈尊は、最後はクシナガラの地で下痢を起こされ弟子たちの必死の看護も及ばず弟子たちに見守れながら2月15日に八十歳で入滅(死亡)されました。入滅されました日が今でも涅槃絵の掛け軸を掛け、寺によって涅槃会法要が開かれております。なお、入滅される前後の行いが葬式の作法の基本となっております。
阿弥陀如来像
大乗仏教の仏。西方の極楽浄土の教主で,生あるものすべてをすくう仏様です。日本には7世紀初め頃伝わる。念仏により浄土に往生できる。
阿弥陀如来とは、仏教において、修行をして悟りを開き如来になったとされる仏様です。浄土教においては、極楽浄土の仏で本尊となります。阿弥陀如来はすべての者を極楽浄土へ導くとされています。他力本願ともよばれ、どんな人でも「南無阿弥陀仏」を唱えることで、極楽浄土へ往生できるというのが浄土教の教えです。阿弥陀如来は全ての人を救おうと48の誓いを立てました。 鎌倉時代初期から、阿弥陀如来の教えである、南無阿弥陀仏を唱えれば、凡夫もすべて極楽へ行けるという浄土真宗の教えは、武士や農民を中心に圧倒的な支持を受け広がっていきました。それまでの仏教には、殺生をする漁師や魚屋、武士などが成仏できないという教えがあったためとも言われています。他力本願は、特別な修行をしたものだけが成仏できるとされたそれまでの仏教に、新しい概念をもたらしました。阿弥陀如来の第18願を本願とすることからきた18番や、あみだくじ、あみだ笠、あみだ被りなどの言葉も、阿弥陀如来に関連してできた言葉と言われています。このいわれから平成16年本堂北墓地内に阿弥陀如来像を建立いたしました。
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鎌倉時代初期から、阿弥陀如来の教えである、南無阿弥陀仏を唱えれば、凡夫もすべて極楽へ行けるという浄土真宗の教えは、武士や農民を中心に圧倒的な支持を受け広がっていきました。それまでの仏教には、殺生をする漁師や魚屋、武士などが成仏できないという教えがあったためとも言われています。他力本願は、特別な修行をしたものだけが成仏できるとされたそれまでの仏教に、新しい概念をもたらしました。阿弥陀如来の第18願を本願とすることからきた十八番や、あみだくじ、あみだ笠、あみだ被りなどの言葉も、阿弥陀如来に関連してできた言葉と言われています。このいわれから平成16年本堂北墓地内に阿弥陀如来像を建立いたしました。
墓地
私たちは、自然界に誕生し、いつかは自然界に帰らねばなりません。亡骸は火葬し、お骨は土に戻してあげることが最も適当な方法であると存じます。私たちは、愛別離苦と申しまして、生涯のうち身内と親しい人と別れなければならいことを経験します。
墓地は、大切だった亡き人やご先祖様を供養するところです。祈りの象徴であると同時にお参りする人にとって精神的なより所で、連綿と受け継がれてきた命のつながりを身
近に感じさせてくれるところです。お墓参りをして先祖供養することは自分をあらしめてくれたご先祖様に感謝するということになります。お墓参りには、ご先祖の冥福を祈る意味だけでなく、1人ひとりがご先祖より与えられた命であることに気づき、感謝し家族の幸せを祈るという意味が込められています。ご先祖様は、日光、寒暖、雨・風のあたる自然界にお祀りすることが最も相応しいと存じます。
進学、卒業、就職、転職、定年退職、結婚、出産など人生の節目節目にできる限り報告を兼ね家族揃って「手を合わせ おかげさまとほほ笑む心」とお参りし、喜びを分かち合うようにしたいものです。